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ニャるほど、トルコ美術史

トルコ美術史の紹介。歴史を知れば、もっと楽しくなる!

気になるお隣さんの西洋美術との関わり

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イスタンブールという都市は、ローマ帝国ビザンティン帝国というキリスト教の国からオスマン帝国というイスラームの国になりました。

陸続きでヨーロッパに接しています。

 

オスマン帝国にとって、ヨーロッパの美術はどのように影響を受けたのでしょうか?

 

 

第7代スルタンのメフメト2世の時代

コンスタンティノープルを征服した第7代スルタンのメフメト2世はキリスト教に身近でした

征服した土地にキリスト教徒が多かったことと、母親の一人が生涯キリスト教徒を通した人だったからです。

 

メフメト2世の生涯は1444〜1481年ですが、この時期はちょうどイタリアのルネサンスの時代でした。

メフメト2世はヨーロッパに関心があり、画家や彫刻家をイタリアから招聘しました。

ジェンティーレ・ベッリーニヴェネチアから、コンスタンツォ・ダ・フェッラーラをナポリから招聘しました。

メフメト2世は肖像画や肖像メダルを作らせました。

↓コンスタンツォ・ダ・フェッラーラによるメフメト2世の肖像メダル

f:id:hako-hana:20170302141900p:plain 写真引用:メフメト2世 - Wikipedia

↓ジェンティーレ・ベッリーニによるメフメト2世の肖像画

f:id:hako-hana:20170302142654p:plain 写真引用:Mehmed the Conqueror - Wikipedia

ジェンティーレ・ベッリーニトプカプ宮殿の宮廷工房でルネサンスの肖像描写を教授したと言われています。

顔や衣服の陰影法は宮廷画家に好んで受け継がれました。

 

第10代スルタンのスレイマン1世の時代

メフメト2世以降のスルタンはイスラームの文化に注力しました。

 

しかし、ヨーロッパはオスマン帝国の動向が気になり、使節団を頻繁に派遣しました。

使節団に同行した画家が、スルタンの肖像画や風俗画を描きました。それは銅版画となってヨーロッパで流布しました。 

ヨーロッパで描かれたスルタンの肖像画オスマン帝国は逆輸入しました。 

↓ヨーロッパで描かれたスレイマン1世

f:id:hako-hana:20170302144108p:plain f:id:hako-hana:20170302144120p:plain 写真引用:スレイマン1世 - Wikipedia

 

逆輸入した絵画は、トプカプ宮殿の宮廷工房の画家たちに影響を与え、オスマン美術独自の写実的な肖像画を生みました。

↓宮廷画家(本職 海軍軍人)ハイダル・レイス(ニギャーリー)が描いたスレイマン1世

f:id:hako-hana:20170302154340p:plain 写真引用:スレイマン1世 - Wikipedia

 

第23代スルタンのアフメト3世の時代

アフメト3世は、後世の歴史家が「チューリップ時代」と呼んだ文芸復興期を築きました。

アフメト3世はヨーロッパの近代絵画をいち早く導入しました。

トプカプ宮殿のアフメト3世の食堂

f:id:hako-hana:20170302150428p:plain 写真引用:Fruit Room /Privy Room of Ahmed III | Topkapı Palace Museum Official Web Site

 

ヨーロッパ風の遠近法が導入され、奥行きのある絵画が表現されました。

↓宮廷画家レヴニーが描いたアフメト3世

f:id:hako-hana:20170302150838p:plain 写真引用:Ahmed III - Wikipedia

 

第28代スルタンのセリム3世の時代

セリム3世はフランス革命の年の1789年に即位しました。

セリム3世はオスマン帝国の西洋的近代化を積極的に進めたスルタンでした。

 

セリム3世は、ヨーロッパに対して力の象徴を示すためにスルタンの肖像画を利用することにしました。

ギリシア系の画家コンスタンティン・カプダールにその任務に就かせました。ヨーロッパの風景画法が採用されました。

↓画家コンスタンティン・カプダールが描いたセリム3世

f:id:hako-hana:20170302152359p:plain 写真引用:III. Selim - Vikipedi

 

まとめ

第7代スルタンのメフメト2世は、 ヨーロッパの文化を積極的に受け入れて、ルネサンス時代のイタリアの画家を招聘しました。

第8代スルタン以降はイスラーム文化に注力したため、ヨーロッパからの画家の招聘はありませんでした。

第10代スルタンのスレイマン1世の時、ヨーロッパはオスマン帝国の動向が気になっていたため使節団を派遣し、ヨーロッパのためにスルタンの肖像画などを描きました。それらは逆輸入し、オスマン帝国の宮廷画家に影響を与えたと考えられます。

第23代スルタンのアフメト3世はヨーロッパの近代絵画を導入し、オスマン美術に吸収されました。

第28代スルタンのセリム3世は自らの肖像画をヨーロッパ風に描かせ、ヨーロッパに権力を示しました。

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体感できる場所

トルコ

オスマン帝国独自の文化から西洋化への波に流される様を、2つの宮殿から感じることができると思います。

トプカプ宮殿

ドルマバフチェ宮殿

日本

■美術館

西洋美術の作品を展示している美術館は多くあります。展示してある美術品と、オスマン帝国の歴史を重ねて見てみると面白いと思います。

国立西洋美術館

 

参考

講義

  • ヤマンラール水野美奈子『トルコ美術の見どころ入門』第11回(2016年8月6日)@ユヌス・エム インスティトゥート東京
  • ヤマンラール水野美奈子『トルコ美術のパトロンと巨匠たち』第6回(2016年12月3日)@ユヌス・エムレ インスティトゥート東京

書籍

 

 

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