ニャるほど、トルコ美術史

トルコ美術史の紹介。歴史を知れば、もっと楽しくなる!

はじめの町・ブルサ

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オスマン帝国は、第7代スルタンのメフメト2世がコンスタンティノープルを征服して、イスタンブールを首都にしました。

その前はエディルネ、ブルサが首都でした。

 

今回は最初の首都のブルサについて見ていこうと思います。

オスマン帝国初期の歴史を感じることでしょう。

 

 

オスマン帝国最初の首都・ブルサ

ブルサはトルコの北西部に位置する町です。

第2代スルタンのオルハンが首都に定めました

ブルサが首都だったのは40年間で、その後エディルネイスタンブールへと首都が変わりました。

首都が変わっても、歴代スルタンや有力者からは古都としてブルサを親しんでいました。

f:id:hako-hana:20170224222630p:plain 写真引用:Googleマップから説明のための文字を加筆 

 

第2代スルタンのオルハンの時代は、アナトリア(現在のトルコ共和国が位置する場所)は国らしい国にはなっていませんでした。

アナトリアでのビザンティン帝国の力が弱まり、ムスリム・トルコ系の戦士たち(ガーズィー)の小集団が支配を進めていました。

 

オスマン帝国の始祖(第1代スルタン)のオスマンもガーズィーの集団の一つでした。

オスマン在世中にブルサを包囲し、第2代スルタンのオルハンが征服しました。

ブルサは、ビザンティン帝国にとっては単なる地方の一つの町にすぎませんでしたが、オスマン集団にとっては初めて征服できた町らしい町でした

ある程度の規模の町を根拠地にできるようになったことは、ガーズィーの集団を「組織だった国家」にするきっかけになりました。

 

イスラームで町づくり

組織だった国家にするためにイスラームシャリーアイスラム法)が用いられました。

イスラム法には日常生活の隅々まで規定して、売買、結婚、相続、裁判などはイスラム法にのっとる必要があります。

オスマン集団は戦士の集団だったため、イスラム法の専門家はいませんでした。

最初のうちは集団の外から招きました。

自前でイスラム法の専門家を養成するためにメドレセ(高等教育機関)が作られました。

また、「キュッリエ」と呼ばれる社会福祉施設、ハマム(公衆浴場)、病院、霊廟、市場などの施設を付随させたモスク集合体が形成されました。

 

国政を行う場所としてベイ・サライという宮殿が建てられました。(現存していません)

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オルハンの時代、ブルサの美術

トゥーラ

スルタンの花押(署名)。スルタンの勅令・公示などの古文書、貨幣、建造物の銘文に用いられました。

第2代スルタンのオルハンからトゥーラを使い始めました

トゥーラには、①自分の名前、②父の名前、③形容詞が書かれています。

オルハンの時は単純な形でしたが、後のスルタンは装飾したりして進化していきました。

 

 ↓第2代スルタンのオルハンのトゥーラ

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↓第10代スルタンのスレイマン1世のトゥーラ。綺麗に装飾されています。

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写真引用:トゥグラ - Wikipedia

 

↓トゥーラはトルコ美術の作品として現在も大切にされています。

 

写真引用:トルコキリム&輸入雑貨 トプカプ のAmazonページ(リンクは写真をクリックしてください)

タイル

トルコブルーや深い緑色を基調としたタイル装飾です。

クエルダ・セカの技法を用いて細やかな文様を描く技術が採用されました。

クエルダ・セカとは、マンガンに油脂を混ぜて文様の輪郭を描き、釉薬を置いて焼成しても色が混ざらないで細やかな文様が描ける技法です。 

f:id:hako-hana:20170224211808p:plain 写真引用:Bursa Yeşil Camii - Vikipedi

建造物

■オルハン・ガーズィー・ジャーミー

第2代スルタンのオルハンのときに建設。修復を繰り返しています。

f:id:hako-hana:20170224211605p:plain 写真引用:Bursa - Wikipedia

 

■ウル・ジャーミー

第4代スルタンのバヤズィット1世が建設しました。

f:id:hako-hana:20170224211643p:plain 写真引用:Bursa - Vikipedi

 

■ユルドゥルム・ジャーミー

第4代スルタンのバヤズィット1世が着手し、第5代スルタンのメフメト1世のときに完成しました。

ユルドゥルムはバヤズィット1世の尊称で、雷光と言う意味です。

f:id:hako-hana:20170224211705p:plain 写真引用:Yıldırım Camii ve Külliyesi | gezipgordum.com

 

■イェシル・ジャーミー(緑のモスク)

第5代スルタンのメフメト1世、第6代スルタンのムラト2世のときに建設。

緑のモスクという名称は、17世紀の旅行かエヴリヤ・チェレビがドームとミナレット先端に緑のタイルが使用されていて、緑のモスクと呼ばれていると記録しているからです。当時の緑のタイルは現存していません。

f:id:hako-hana:20170224214609p:plain 写真引用:Yeşil Camii ve Külliyesi | gezipgordum.com

 

■イェシル・トゥルベ(緑の霊廟)

第5代スルタンのメフメト1世の霊廟。生前に建設しました。

f:id:hako-hana:20170224211729p:plain 写真引用:Bursa Yeşil Camii - Vikipedi

 

メモ

■第4代スルタンのバヤズィット1世の時代頃から、建築家の名前が残されています。

 

■紹介動画 ※英語のみです

 

体感できる場所

トルコ

実際にブルサに行って街を歩き回るのが一番です!

■ウル・ジャーミー

旅行サイトのTripAdvisorで1位になっている場所です。

■旅行サイト

【世界最大の旅行サイトTripAdvisor (トリップアドバイザー)】:ブルサ、トルコ :世界中の観光客のコメントが読めるウェブサイト。旅行の計画にぜひご利用ください。

日本

■イベント

ツーリズムEXPOジャパン:海外旅行、国内旅行を味わえるイベントです。トルコのブースは例年広く、各都市の観光紹介もあります。

 

参考

講義

  • ヤマンラール水野美奈子『トルコ美術の<パトロンと巨匠たち』第3、4回(2016年11月5,12日)@ユヌス・エムレ インスティトゥート東京

書籍

ウェブサイト

 

 

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